ネイティブアメリカンの一員でもあるリチャードオークスという人物をご存じだろうか。彼は、スウェードというバンドのギタリストである。そんな彼は、実はモホーク族出身。
そのモホーク族は、北アメリカに位置する水路「セントローレンス海路」建設に伴う周辺の重工業化による環境汚染で伝統的な生活ができなくなった。
実質、住居を追い出されたと言っても過言ではない。そんなリチャードオークスは、かの有名なサンフランシスコ湾に浮かぶ放棄された無人の島、「アルカトラズ島」の占拠を計画したリーダーでもあるのだ。
そんな彼をご紹介しよう。
リチャードオークスとは
1942年5月22日、モホーク族の一員として生まれ、カナダと合衆国ニューヨーク州にまたがる「セントリージス・インディアン保留地」(アクエサスネ)で成長したリチャード。
家族はカトリック信者で、伝統的な生活を大切にし、海で漁をし、トウモロコシ、豆、スクアッシュを栽培していた。
セントローレンス海路の建設で街を追い出される
しかし、リチャードが10代に差し掛かる頃、セントローレンス海路の建設と周辺の重工業化が環境汚染を引き起こし、保留地は荒廃。
伝統的な生活は続けられなくなり、16歳の時にリチャードは保留地を離れ、高所鉄工作業員として働くことなった。
セントローレンス川に鉄橋がかけられた1880年代以来、多くのモホーク族がこの危険な高所作業に従事していたそうだ。
サンフランシスコ州立大学に入学
労働者として転々とした後、1960年代初頭にサンフランシスコに到着。
金門橋建設時代からモホーク族が集まっていたこの地で、リチャードはポモ族の保留地に住み、鳶職に従事しながらサンフランシスコ州立大学に入学した。
インディアン学部を設立
リチャードは大学でアメリカインディアンの学部創設に協力し、新しいカリキュラムを作って、アメリカの大学で初めてのインディアン学部を立ち上げた。
その頃、アメリカ政府はインディアンの部族を解散させる政策を進めてて、約10年で100以上のインディアン部族が認識を取り消され「絶滅」宣告された。
そして彼らは権利を奪われ、保留地がなくなり大変な状況になっていった。その結果、多くのインディアンが都市の貧しい地域に住むようになり「インディアン・センター」という助け合いの組織を立ち上げたわけだ。
同時に、アメリカ北東部ではインディアンの部族が権利を取り戻そうとする運動が盛んになってたんだ。
モホーク族は昔からキリスト教に抑圧されてた伝統を再興させ「モホーク族連合」を作った。そして、「平和の白い根」っていう移動の文化交流団体を通して、全米を回って他のインディアンの文化復興を手助けしたのだ。
レッド・パワー運動
1968年、ララミー砦条約が結ばれてから100年目の年に、ラッセル・ミーンズや他のいくつかのインディアンの活動家たちが、サンフランシスコのアルカトラズ島を占拠した。
条約のきちんとした履行を求めたのだが、この抗議は白人社会から全く無視されて、結局は成功しなかった。
その後、リチャードは若いインディアンたちが始めた「レッド・パワー」と呼ばれる権利回復運動に参加し、「インディアン・センター」で権利を求める行動に積極的にかかわった。
リチャードはインディアンの部族が協力すべきだと考え、それを実現するために部族の大学や平和団体を作るべきだと提案し、その理想の一部は実現された。
アルカトラズ島占拠事件
占拠のきっかけはインディアン・センター焼失
1969年の春、リチャードは「平和の白い根」というグループに会いに行って、伝統的な教えを受けて権利の運動について深く考えさせられた。
その秋、サンフランシスコの「インディアン・センター」が火事で焼け、ベイエリアに住むインディアンたちの大事な集まり場がなくなってしまった。
彼らの主張が白人社会で無視されていることに失望し、直接的な抗議行動でメディアにアピールすることが必要だと感じたリチャードは、サンテ・スー族のジョン・トルーデルなどと一緒に、サンフランシスコ湾に浮かぶ無人の「アルカトラズ島」を占拠する計画を立てた。
アルカトラズ島占拠事件の勃発
そして、リチャード・オークスは「全部族インディアン」として知られるグループのメンバーとして、1969年11月9日にアルカトラズ島を占拠した。
占拠団体はフォート・ララミー条約を引用し、アメリカ政府による未使用地や放棄地の先住民による取り戻し権を主張した。
アルカトラズ島での占拠は、彼が先住民権利運動のリーダーとして注目を浴びるきっかけとなった。
アルカトラズ島占拠の終焉
アルカトラズ島占拠は約2年後の1971年に終結した。
占拠が終わった後も、リチャード・オークスは先住民権利のために活動を続けたが、1972年に友人とのトラブルがきっかけで銃撃事件が発生し、その際にリチャード・オークスが亡くなった。
アルカトラズ島とは
アルカトラズ島は、1934年の開設から約30年間、連邦刑務所として使われていた島である。有名なアル・カポネも実際に投獄されていた。
当時は、島という立地、周辺の潮流の激しさなどから、脱獄不可能の監獄といわれていたが、現在は一変し人気の観光地となっている。
カリフォルニアは、1848年のゴールドラッシュによって急速に発展し、人口は1849年に2万人に達した。
アメリカ政府は当初、灯台として利用する予定だったが、急な変化により
アルカトラズ島はアニメワンピース「インペルダウン」のモデルとなった
かの有名なアニメ、ワンピースのエースが収監されていた「インペルダウン」のモデルにもなっていた。
海王類の住処、凪の海という立地ゆえ、帆船ではほぼ脱出不能。ルフィが兄エースを助けるために侵入したことと、黒ひげの野望のために大脱獄事件が発生し、それは頂上決戦の前哨戦となった場所だ。
いかにも「アルカトラズ島」と似ているのがわかる。
ちなみに、個人的に思ったのはモデルになったかわからないが「進撃の巨人」に似ていないだろうか。あそこは監獄というよりは、ただ塀に囲われているだけなのだが…w
ちなみに『ハリー・ポッター』にもこの島と同じ孤島の監獄が登場するのだが、それが「アズカバン」というわけ。
こちらもやはり周辺の潮流の激しさなどは似ている。
まとめ
リチャード・オークスの行動は、アメリカの先住民権利運動において重要な位置を占めていることがわかる。
彼の犠牲は、先住民の権利や文化のために闘った先駆者として今もなお称賛されている。
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